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『幻想水滸伝 ティアクライス』をメインとしたファンブログです。 はじめてお越しの方は、まず最初に、必ず「はじめに。」をご覧下さい。
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ゲームを始めて見るまでは、容姿的にはかなり好みだけど、何よりも“喋る”という点が引っ掛かってたティアクライス主人公・団長さんですが、ゲーム開始から暫く、まだシトロ村の領域を出ないあたりをウロウロしてる頃あたりから(東の丘のもさもさ退治)、今回の主人公は、これまたえらく可愛いなぁ、と思うようになりました(^^;)

十字キーを押したらBボタン押さなくても出し抜けに走っちゃったり、“喋る”という点がとにかく引っ掛かってた会話ではテンポよくツッコミがあったり、それに会話シーンで出てくる表情にも、如何にも健康で元気いっぱいな男の子って感じで、そんな、少しもじっとしてなさそうなところがですね、可愛いなぁ、と。
きっと好きなものがいっぱいあって、大事なものもいっぱいあって、
つーか大事なものを大事にしようと思いもせずに、意識もなく大事にしながら、たくさんの好きなものに囲まれて育ってきたんだろうなぁって思ったんですよねー。

“幸せ”という言葉を使った事がないくらい、幸せな毎日の中にいるんだろうな、と。

で、その後、ゲームが進んでいって、帝国の元料理長に会った時、ホントにいい子だなぁって思いましてね。
もちろん、それ以前にも、なんて真っ直ぐで良い子なんだろうと思うシーンが幾つもありましたが(真っ直ぐすぎて時々アレな言動も見受けられますけどね。でもまぁ、そこは15歳の男の子だから/笑)、
とにかく、大事なものが大事で、好きなものが好きで、許せないものは許せなくて、で、それに、美味しいものをみんなで食べたいって、なんかすごく、こういう子っていいなぁって思ったわけです。





……まぁ、料理長さんのシチューが出た時、グレミオのシチューとどっちが美味しいのかなって思いましたが。

で、坊ちゃんとティアクライス主人公が、それぞれのシチューを味見したら、たぶんきっと、お互いがそれぞれのシチューをとても美味しいと言った後、「だけどグレミオが作ったやつの方が」「やっぱりウチの料理長の作ったヤツの方が」ってなる感じかな、とか思ったんですけどね。

まぁそれは良いとして、今回の仲間集めで、こういう理由って良いなと思ったのが、ムーロやスフィールを仲間にする時のセリフですね。
「このままここにいるよりは良いから、ウチにきちゃえよ」って感じのヤツ。
ケフレンさんを連れてくる時の「寝覚めが悪い」ってのも好感が持てました。

クーガが、主人公が誰かを助けようとする時、そこに理由なんてない、と言うシーンがありますけれど、主人公が誰かを助ける理由って、いつもちゃんとあるんですよね。
「もしここで見過ごして、見過ごした挙げ句に後で(その相手に)何かあった事を知ったら、その時自分が寝覚めが悪い」っていう。
だから助けようとするし、主人公はたまたま、自分が助けたいと思うものを、その気持ちのままに助けられる力も得て、その為にひどく自己中心的で我が儘な“人助け”に拍車がかかっていった──というと、何やら身も蓋もありませんけどね(^^;)
ついでに、“人助け”に対し、何やら否定的な感じで書いてますが、“誰かを助けたい”という気持ちを否定的に見ているわけではありません(笑)
そう思ったのなら、遠慮するようなものでもありませんしね。
自分でも助けてあげられそうな事があるなら、遠慮せずにやってみるべきだと思ってはいるんですよ。
つーか、そんなところで遠慮なんかしちゃうから、電車とかでお年寄りや妊婦さん見ても、席ひとつ譲れずに後悔しちゃったりするわけですから。
……って、でも、気が付いて、ちょっとでも役立てるかなと思って申し出たのに断られちゃうと、元が元々純然たる善意だけに、ひどく痛かったりするんですよね……(^^;)
私も何度も断られた事あるし、私自身が、どなたかから向けられた善意を、(こちらとしては)悪気もなく断ってしまって、たくさんの人をひどく傷付けていると思います。
それを思いますとね、人間なんて、生きてる限り、無意識でたくさんの人を傷付け続けるのだから、何も敢えてわざわざ意図的に傷付ける必要なんてこれっぽっちもないだろうと思ったりもするわけです。
ま、人間、誰も何も傷付けずに生きて死ぬ事なんて不可能ですよね! たとえそれが神や仏であろうとね!
(注/ここ暫くの間で、私がどなたかから傷付けたらてしまった為に、こんな事を書いてるわけではありませんので念の為)

さて、話がちょっと逸れましたが、
なんというか、こう、主人公は仏のように救おうとして、ベルフレイドは神のように救おうとしたタイプの指導者なんじゃないかと思ってます。
ベルフレイドが他国を征服し、帝国を消滅させた事に少しばかりの呵責も感じていなかった(感じていないように見える)のは、彼の視点が“神”の位置にあり、その意思に応じないものを罰しただけに過ぎないからなのではないでしょうか。
まぁ、彼がそこに立ち位置を定める切っ掛けとなった“求めるもの”は、あまりにも人間くさい、“人”でなければ持ち得ない喪失の絶望と、失ったものへの執着だったわけですが。

で、まぁ、“誰かを助けようとする時に理由なんてなく”て、その気持ちに応えてくれる星の印という力を得た主人公が、はじめて直面した“助けられない”という現実ってのがラザの砦の崩壊で、
あれはもう星の印を得たあとで、主人公としてはそんな自覚もなかったろうけど、そりゃもう圧倒的な武器を手にして無敵な気分にもなってただろうから、ものすごいショックだったと思うんですよ。
もちろん彼は、星の印なんてなくても、ラザの砦の崩壊に巻き込まれてく人たちを助けに行こうとしただろうけど、星の印という力を持っているのと持っていないのとでは、やっぱりだいぶ違っただろうと思いますのでね。
あのシーンのアニメ、すごい好きなんですよね……。
主人公がとても無力で。
そんでもって、崩壊する砦を前に、気持ちは助けようとして前に出るけど、体の方は(砦崩壊の恐怖に)満足に動かなかったんじゃないかとも思ってるんですよ。
だってあの時の主人公を止めるの、いくら全力で止めてたに違いないっつーても、主人公より体格も力もありそうなジェイルや剣士団の誰かではなく、あからさまに体力的に劣りまくってるリウくんでしょう。
もしも主人公が本気で全力で助けに行こうとしてたら、いくらリウくんが抱え込んで抑えようと、そんなの剥がして突き飛ばしちゃうんじゃないかなと思って。
だから、助けなきゃって思う気持ちと反して、体には思うように動かなかったんだろう、と。

あの時、主人公は、はじめて、“体が竦んで動かないほど、ものすごく怖いこと”に遭遇したんだと思ってます。
で、その後、ディルクの言動に同じ思いを感じてたんじゃないかな、とか。
ディルクの“裏切り”は、主人公にとって“あるわけがない事”で、そういう“あり得ない事”ってものすごく怖いものだと思ってるんで。

まぁ、なんのかんの、ディルクが繰り返した「こんな本(力)さえなければ──」って真実だと思うんですよ。

──そうして考えてみると、スクライブの存在ってイギリスみたいだよなぁ……。
↑イギリスがもうちょっとああしたりこうしたりしてれば、世界を騒がすアレとかコレとかはだいぶ減ってたんじゃないかと思われ(^^;)


ま、現実世界の世界史についてはどうあれ、エンディングを3つ全部見て、ちょっと落ち着いて、ぼちぼち、そんな事を考えています。

つーかこの記事、わざわざ追加してまでカテゴリーを“キャラ語り”にしてるけど、いまいちキャラ語りになってない気がするなー……。
次にこのカテゴリーで何か書く時は、もうちょっとちゃんとキャラ語りな内容にしようと思います。うん。


 

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